オランダ Netherland

国連 1989 発行
切手で綴る 蘭英戦争(Naval Battle Voyages)No.2-7
第2次 蘭英戦争
(7)チャタムの海戦
Naval Battle of Chatham, 1667/6/9〜6/14
メドウェイ川の襲撃(Raid on Medway)
United Kingdom

国連 1983 発行
イギリス 大航海物語
オランダ艦隊がテームズ河々口部に進入

NEDERLAND
ロイテル提督

1607 ロイテル生誕300年記念 1907
オランダ  明治40年1907/3/23 発行

JERSEY
英仏海峡の地図

ジャージー 1970 発行



NEDERLAND
オランダの地図

オランダ 1972 発行

ANTIGUA BARBUDA
海戦の図

当時の海戦はこちら
アンチグアバーブダ 1984 発行

第2次蘭英戦争(Second Anglo-Dutch War 1665/3/4〜1667/7/31 蘭勝利)は、イングランド軍が、北アメリカにおけるオランダ植民地ニューアムステルダムを占領したことが発端で、1665年から1667年にかけてチャールズ2世を戴く王政復古後のイングランド王国と、Sデ・ウィッテの率いるネーデルラント連邦共和国(オランダ)の間で展開されました。前回同様、イングランド艦隊はオランダ商船の拿捕やオランダ諸港の封鎖を行おうとしましたが、財政難で失敗。この戦争が始まるとイングランドでは疫病(ペスト)が流行したり、ロンドン大火が起こったりしました。オランダ艦隊はテムズ川に侵入してケント州チャタム(Chatham)周辺に停泊中の軍艦を焼き討ちにし、さらにイングランド艦隊総旗艦ロイヤル・チャールズ号を含めた数隻が捕獲されました。(Battle of Chatham)。イングランドは決定的敗北になりましたが、フランス軍の南ネーデルラント(現在のベルギー)侵攻に対処するため、オランダ側がイングランドと協力する方針に転換。そのため1667/7/31に講和の条件をかなり譲歩したブレダの和約が結ばれ、戦争は終結しました。オランダはこの和約でニューアムステルダム(現在のニューヨーク)を含む北米植民地ニューネーデルラント(現在のニューヨーク州)をイングランドに割譲、オランダが占領した南アメリカのギアナ地方の一部が、そのままオランダ領ギアナ(現在のスリナム)となりました。

以上は第2次英蘭戦争の概要ですが、
「オランダ艦隊がテームズ河に進入」は”メドウェイ川の襲撃”とか、”チャタムの海戦”と呼ばれ、歴史に登場しており、オランダ海軍陸戦隊(海兵隊)が一時的(1667/6/9〜6/14)にイングランドのケント州シェペイ島(Isle of Sheppey)北端にあるシーアネス(Sheerness)に侵入したという説が有ります。テームズ河(River Thames 346km)の河口部にあるシーアネスにはメドウェイ川(River Medway 113km)防衛の対艦砦(Fort)があったんで攻撃・侵入して、オランダ艦隊の通過を安全にしました。メドウェイ川の最奥部にはチャタム・ドックヤード(naval dockyard:王立海軍造船所)があり、その川の進入口の防衛は重要な課題で、ヘンリー8世が砦を建設していました。

その説によると:〜
・オランダの呼称:チャタムの海戦 ”Naval Battle of Chatham” オランダの勝利
・イギリスの呼称:メドウェイ川の襲撃 ”Raid on Medway”
・戦場:イングランドのケント州テームズ河々口部シェペイ島北端シーアネスのメドウェイ川
・期間:1667/6/9〜6/14
       この間はテームズ河々口部の英海軍艦隊泊地がオランダ艦隊に封鎖される
 ・英国王:〜チャールズ2世(Charles II of England, 1630-在位1660-1685)
       王制復古期ステュアート朝イングランド・スコットランド・アイルランドの王
 ・カンバーランド公ルパート王子(Rupert, Duke of Cumberland; 1619プラハ生-1682ロンドン没)B
       イングランド内戦で国王軍の指揮官、英蘭戦争では海軍の指揮を執る
 ・アルベマール公モンク提督(George Monck, 1st Duke of Albemarle, KG 1608-1670)A
       英蘭戦争では海軍の最高司令官(commander-in-chief)
区分 イギリス オランダ
指揮官 Bプリンス・ルパート
Aモンク提督
総司令官:Cロイテル提督
司令官:Rネス提督、ホーランディア号座乗
司令官:Qガント提督、アガサ号座乗
戦 力 テームズ河々口部泊地投錨中の軍艦群
アップナー砦(Upnor)守備隊
シーアネス砦(Sheerness)守備隊
守備のケッチ火船
フリゲート級以上:62隻
小型艦:15隻
火  船:12隻 (計89隻)
海兵隊:17,500人(水陸両用作戦専門:史上初の軍団)
損害 喪失 戦列艦13隻
損失 戦列艦2隻-捕獲
戦列艦30隻-自沈
火船8隻-消耗
戦死 約500人 海兵:約50〜150人
・Sオランダ宰相:〜()コルネリス・デ・ウィット(Cornelis de Witt, 1623-1672)
Cデ・ロイテル中将(Lieutenant-Admiral Michiel de Ruyter 1607-1676)主力艦隊司令官
・Rアールト・ネス中将(Lieutenant-Admiral Aert Jansse van Nes 1626-1693)第2艦隊司令官
・Qガント中将(Lieutenant-Admiral Baron Willem Joseph van Ghent 1626-1672)第3艦隊司令官

オランダ艦隊:〜総司令官デ・ロイテル提督
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシエン号 De Zeven Provincien 80 旗艦、Cデ・ロイテル提督
・ホーランディア号 Hollandia 80 旗艦、Rネス提督
・アガサ号 Agatha 50 旗艦、Qガント提督、フリゲート艦
・ヴェルデ号 Verde 40 艦長、(21)ヤン・ファン・ブレーキル
・エルフ・ステデン号 Elf Steden 54
・ゴーカム号 Gorcum 34
エッセン号 Essen 50 フリゲート艦、ビンケス艦長
・シント・カタリナ号 Sint Catharina 4 火船(Fire Ship:焼き討ち船)
・スザンナ号 Susanna 4 火船
・ズワルテ・レーウ号 Zwarte Leeuw 4 火船
・プロパトリア号 Pro Patria 4 火船
・スキーダム号 Schiedam 4 火船
・カタリーナ号 Catharina 4 火船
・デルフト号 Delft 4 火船
・ロッテルダム号 Rotterdam 4 火船
・ドラーク号 Draak 4 火船
・ワペン・ファン・ロンデン号 Wapen van Londen 4 火船
・ゴーデン・アペル号 Gouden Appel 4 火船
・プリンセス号 Princess 4 火船
・など。

イギリス艦隊:〜総司令官プリンス・ルパート提督
戦列艦 HMS
ロイアル・キャサリン号 Royal Katherine 84 捕獲
・ロイアル・チャールス号 Royal Charles 80 捕獲
・ロイヤル・ロンドン号 Loyal London 80 焼失
・ロイヤル・オーク号 Royal Oak 76 焼失
・ロイヤル・ジェームス号 Royal James 70 焼失
・ヴァンガード号 Vanguard 56 自沈
・チャールズ・ファイブ号 Charles V 52
・サンクタ・マリア号 Sancta Maria 50
・オールド・ジェームス号 Old James 48
・ママデューク号 Marmaduke 40
ユニティ号 Unity 42 捕獲
・マサイアス号 Mathias 52
・ゴールデン・フェニックス号 Golden Phenix 36
・ハウス・オブ・スェーデン号 House of Sweden 70
・ユニコーン号 Unicorn 46
・ジョン号 John 44
・ウェルカム号 Welcome 36
・レイセスター号 Leicester 24
・コンスタント・ワーウィック号 Constant Warwick 32
・サラ号 Sarah
・バルバドス・マーチャント号 Barbados Merchant 44
・ノールウェイ・マーチャント号 Norway Merchant フリゲート艦
・マーマデューク号 Marmaduke 40 フリゲート艦
・ハインド・フォーチュン号 Hind & Fortune
・エドワード・イブ号 Edward & Eve
・ドルフィン号 Dolphin 30
・など。

・ロイアル・チャールス号 と ユニティ号の装備:〜蘭が捕獲
 HMS Royal Charles、1667
  イギリス海軍の総旗艦(1655年進水時”Naseby”を1660/5/23に改名)
・1666年に四日海戦(ノースファランド沖の海戦)や、
  聖ジェームスデー海戦(St. James's Day Battle)など従軍
・1667年にイングランド艦隊総旗艦として
  テームズ河々口部泊地に投錨中、オランダ艦隊に捕獲される。
イギリスの戦列艦

マーシャル 1998 発行
・戦列艦 ロイアル・チャールス号(3等) ユニティ号(HMS Unity)4等
船 型 イギリスの戦列艦
(80-gun England 3rd rate ship of the line)
イギリスの戦列艦
42-gun Fourth Rate ship of the line
帆 柱 3本 3本
全 長 39.9m(キール keel) 29m(キール keel)
全 幅 13.0 m(ビーム Beam) 10.52m(ビーム Beam)
喫 水  5.5m(深さ Depth) 2.79m(深さ Depth)
重 量 1,278屯 307屯
乗組員 650人 150人
進 水 1655(Woolwich) 1655にオランダから捕獲
捕 獲 1667/6/12にオランダが捕獲 1667/6/11にオランダが捕獲
最 後 1673、オランダがスクラップで売却
武 装 各種砲の合計:砲80門 各種砲の合計:砲42門
・戦列艦ユニティ号(Unity)は、オランダのエンドラチェット号(Dutch ship Eendracht 1655)を
 イギリス戦艦のヤーマス号(Yarmouth)・ダイアモンド号(Diamond)・マーメイド号(Mermaid)が
 1655年に捕獲して、シーアネスの沿岸警備艦になっていたのを、1667年にオランダが捕獲。

参考HP:〜
(Battle of Chatham)
テームズ河の場所地図(Thames)

テームズ河々口部の地図(Raid on the Medway、1667/6/9-14)
シーアネスとグレーヴスエンド付近の場所地図(シェペイ島:Isle of Sheppey)
メドウェイ川の場所地図(Medway)

・ブレダの和約 (1667/7/31)
  Treaty of Breda
  ブレダの和約をこちらでお楽しみください。

こちらで
蘭英戦争(1652-1674)
第1次蘭英戦争(1652-1654)
第2次蘭英戦争(1665-1667)
第3次蘭英戦争(1672-1674)
第4次蘭英戦争(1780-1784)
マゼラン (海峡)
スパイス (香辛料)
コーヒー (嗜好飲料)
ラッコ(絶滅危惧種)
クリッパートン島(絶海の孤島)
カリブ海の地図(島国シリーズ)
フランスの王と王族(ブルボン朝)
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る東海道五十三次
全米50州アメリカ
・世界で1番美しい 蝶々
・ギリシャの民族衣装
・スペインの画家ゴヤ
世界遺産
フランス
法隆寺日本
ヌビア遺跡エジプト
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿ギリシャ
モヘンジョダロパキスタン
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   11/1/16。令和5年 2023/6/25

スタンプ・メイツ
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