オランダ Netherland

国連 1989 発行
切手で綴る 蘭英戦争(Naval Battle Voyages)No.2
第2次 蘭英戦争
1665〜1667
2nd Anglo Dutch War

United Kingdom

国連 1983 発行
イギリス 大航海物語

NEDERLAND
デ・ロイテル提督
トロンプ(子)提督
エバツウェン(五男)
オランダ 1943 発行

JERSEY
英仏海峡の地図

ジャージー 1970-75 発行



NEDERLAND
オランダの地図

オランダ 1972 発行

・第2次蘭英戦争
 (Second Anglo Dutch War, 1665/3/4〜1667/7/31)
蘭英戦争はイギリスが航海法(1651)を制定したのを不満として開戦しました。第1次蘭英戦争がウェストミンスター条約(1654)で終わった後に、イングランド軍が北アメリカでオランダ植民地ニューアムステルダムを占領したことが発端で、第2次蘭英戦争が1665年から1667年にかけて、チャールズ2世(在位1660-1680)を戴く王政復古後のイングランド王国と、デ・ウィッテ宰相(1625-1672)の率いるネーデルラント連邦共和国(オランダ)の間で戦争が展開されました。

前回同様、イングランド艦隊はオランダ商船の拿捕やオランダ諸港の封鎖を行おうとするも、財政難で失敗しました。この戦争が始まるとイングランドでは疫病(ペスト)が流行したり、ロンドン大火が起こったりしました。オランダ艦隊はテームズ川に侵入してチャタム周辺に停泊中の軍艦を焼き討ちにし、さらにイングランド艦隊総旗艦ロイヤル・チャールズ号を含めた数隻が捕獲されました。イングランドは決定的敗北を遂げたのですが、フランス軍の南ネーデルラント(現在のベルギー)侵攻に対処するため、オランダ側がイングランドと協力する方針に転換しました。そのため1667/7/3に講和の条件をイングランドにかなり譲歩したブレダの和約が結ばれ、戦争は終結。オランダはこの和約でニューアムステルダム(現在のニューヨーク)を含む北米植民地ニューアムステルダム(現ニューヨーク州)をイングランドに割譲するも、オランダが占領した南アメリカのギアナ地方の一部が、そのままオランダ領ギアナ(現スリナム)となりました。

第2次蘭英戦争の海戦:〜:〜 第2次 蘭 英 戦 争〜(1665〜1667)
1665/6/13には北海のローエストーフト沖にてヨーク公率いるイギリス艦隊130隻とオプダム率いるオランダ艦隊120隻が衝突。1666/6/11にはノースファランド沖の海戦(四日海戦)などが勃発しました。

<第2次蘭英戦争の主な海戦>
・欧州戦々の海戦(Europe)
(1)ローエストーフト沖の海戦 (1665/6/13) 英勝利 海戦の図

アンチグアバーブダ 1984 発行
(2)ヴォーゲンの海戦 (1665/8/2) 蘭勝利
(3)4日海戦(ノースファランド沖の海戦) (1666/6/11-6/14) 蘭勝利
(4)セント・ジェームス・デーの海戦 (1666/7/25-7/26) 英勝利
(5)ホームズ・ボンファイアーの海戦 (1666/8/19-20) 英勝利
(6)第2次ダンジネスの海戦(1666) (1666/9/17) 英勝利
(7)チャタムの海戦(メドウェイの襲撃) (1667/6/9-6/14) 蘭勝利
(8)ランドガード砦の戦い (1667/7/2) 英勝利
カリブ海戦々の海戦(Caribbean, North America)
(9)ニューネーデルランドの征服 (1664/5/25-10/4) 英勝利
(10)バルバドスの海戦 (1665/4/29) 英勝利
(11)ネビスの海戦 (1667/5/20) 英勝利
(12)マルチニークの海戦 (1667/6/30-7/7) 英勝利
(13)カイエンの侵攻の海戦 (1667/9/22) 英勝利 (仏ギアナ占領)
(14)ゼーランディア砦の奪還の海戦 (1667/10/13) 英勝利 (スリナム・パラマリボ)
など。
オランダ艦隊の海軍本部 (1795-1813)
オランダの海軍提督


・(2)ヴォーゲンの海戦
 (Battle of Vagen, 1665/8/2)蘭勝利
  戦場:ノルウェーのベルゲンの主要港ヴォーゲン沖合(Bergen, Norway)
オランダはローエストーフト沖の海戦で勝利してイギリス海峡を制圧したイギリス艦隊を避けるために、蘭商船団はスコットランドを北に航行し、北海を経由してオランダ共和国に到着していました。ヴォーゲンの海戦は、オランダ商人の宝物船団(Dutch Merchant Treasure Fleet)とイギリス艦隊との間の海戦でした。1665/8月には第二次英蘭戦争の一環としてイギリスの軍艦小艦隊が参加しました。 この戦いは、中立国であるノルウェーのベルゲン(Bergen)の主要港湾地域であるヴォーゲン(ノルウェー語「湾:ヴォー」の意)で戦われました。命令が遅れたため、ノルウェー国王とデンマークの密かな意図に反して、ノルウェー軍の指揮官はオランダ側につきました。この戦いはイギリス艦隊の撤退で終わり、イギリス艦隊は大きな損害を受けたものの、損失はありませんでした。蘭宝物船団は17日後にオランダ本国艦隊によって救援されました。
<ヴォーゲンの海戦>〜 第2次 蘭 英 戦 争 〜 1665/8/2
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
 (Order of Battle at the Battle of Vagen's Fleet)
オランダの戦列艦

オランダ 1957 発行
蘭英艦隊 主 力 総司令官 座乗艦
オランダ艦隊 戦列艦8隻 ビッター提督 ヴァルヘレン号(70g)
イギリス艦隊 戦列艦14隻 テデマン提督 リヴェベジ号(60g)
・蘭ピーテル・デ・ビッター提督(Pieter de Bitter, c1620-1666/6/15没)
・英Dサー・トーマス・テデマン提督(Vice Admiral Thomas Teddeman, 1668/5/13没)
▼オランダ艦隊の編成:〜(Dutch Fleet)総司令官ビッター提督
・スロット ホーニンゲン号 Slot Hooningen 60
・カタリーナ号 Catharina 40 座礁
・ヴァルヘレン号 Walcheren 70 旗艦、ビッター提督
・ヨンゲ・プリンス号 Jonge Prins 66
・グルデン フェニックス号 Gulden Phenix 65
・リジェンデ号 Rijzende 50
・コッゲ号 Kogge 45
・ワーペン・ファン・ホールン号 Wapen van Hoorn 66
▼イギリス艦隊の編成:〜(British Fleet)総司令官テッドマン提督
・プルーデント・メアリー号 Prudent Mary 28
・ブレダ号 Breda 48
・フォーサイト号 Foresight 48
・フォーサイト号 Packington 48
・ベンディッシュ号 Bendish 50
・ハッピーリターン号 Happy Return 52
・サファイア号 Sapphire 40
・ペンブローク号 Pembroke 34
・ガーンジー号 Guernsey 30
・リベンジ号 Revenge 60 旗艦、テデマン提督
・ゴールデン ライオン号 Golden Lion 42
・ソサエティ号 Society 44
・ノリッチ号 Norwich 30
・ギニア号 Guinea 40
・など。


(5)ホームズ・ボンファイアーの海戦
 (Battle of Holmes' Bonfire, 1666/8/19-8/20)英勝利
  戦場:オランダのフリースラント州フリーラント島フリーエ河口
  (Vlie, Vlieland Island, Friesland Province, Netherland)
ホームズのボンファイアーの海戦は、第二次蘭英戦争中の1666/8/20にイギリス艦隊によってが、オランダのフリーラント島フリーエ(Vlie, Vlieland Island)河口を襲撃した海戦でした。この攻撃は上陸部隊の司令官ホームズ少将(後に大将)に因んで名付けられました。イギリス艦隊が迎撃してきた戦列艦2隻を破壊して、140隻から
イギリス艦隊の襲撃

アルマダの海戦400年記念
セントビンセント 1988 発行
なるオランダの大商船団を砲火で破壊することに成功しました。 同じ戦い中にオランダの西テルスヘリング(West-Terschelling)の町が焼き払われ、オランダ共和国(Dutch Republic)は激怒したと伝えられています。

<ホームズ・ボンファイアーの海戦、艦隊戦闘序列>〜 第2次 蘭 英 戦 争 〜 1666/8/19-8/20
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
 (Order of Battle at the Battle of Holmes' Bonfire's Fleet)
蘭英艦隊 主 力 総司令官 損害
・オランダ艦隊 フリゲート2隻 商船150隻 フリゲート2隻・商船140隻 破壊
・イギリス艦隊 フリゲート8隻 小艦艇5隻など ホームズ提督
・蘭:アデラー艦長、(Capt. Cort Adelaer, 1622-1675/11/5)
・蘭:ファン・トール艦長(Capt. Van Toll, 生年没年不詳)
・英:Fロバート・ホームズ提督(Admiral Sir Robert Holmes, c1622-1692/11/18没70才頃)

▼オランダ艦隊:〜(Dutch Fleet)
・フォーレンホーフ号 Vollenhove 28 フリゲート艦、アデラー艦長
・ミッデルホーフェン号 Middelhoven 28 フリゲート艦、ファン・トール艦長

▼イギリス艦隊:〜(British Fleet)
イギリス艦隊:〜総司令官ホームズ提督
フリゲート艦8隻 HMS
・タイガー号 Tiger 40 フリゲート艦、艦隊旗艦
・アドバイス号 Advice 46  ”
・ハンプシャー号 Hampshire 40  ”
・ドラゴン号 Dragon 40  ”
・アシュアランス号 Assurance 32  ”
・スウィープステイクス号 Sweepstakes 36  ”
・ガーランド号 Garland 28  ”
・ベンブローク号 Pembroke 28  ”
火船5隻
・リザード号 Lizard 6 火船(Fireship)
・フォックス号 Fox 6  ”
・ファンファン号 Fanfan 4  ”
・リチャード号 Richard 4  ”
・サミュエル号 Samuel 4  ”
その他の小艦艇
ケッチ 7隻
スループ 36隻。
参考HP:〜
フリーエ河口の場所地図(Vliestroom:フリーラント島フリーエ河口)
フリーラント島の場所地図(Vlieland Island)。

(6)第2次ダンジネスの海戦
 (2nd Battle of Dungeness, 1666/9/17)英勝利
 別名:ダンジネス岬の海戦
 (Battle of Dungeness Cape)
 戦場:イギリス海峡のケント州ダンジネス海岸沖
 (Off coast of cape of Dungeness, Headland, Kent, English Channel)
第二次蘭英戦争がイングランド王国とオランダ共和国の間で、両国の植民地をめぐって1年にわたって激化していってヨーロッパ海域と西インド諸島で戦われていた
イギリス艦隊の攻撃

アルマダの海戦400年記念
セントビンセント 1988 発行
中、フランスはオランダ共和国とデンマークと同盟を結んで、1666年にイギリス艦隊はセント・ジェームス・デーの海戦で勝利を収めた後、北海を制圧しました。オランダはホームズ・ボンファイアーの海戦として知られるイギリスの襲撃の後、深刻な打撃を受けていました。フランス国王の太陽王ルイ14世とその総航海総監ボーフォール公フランソワ・ド・ヴァンドーム(Francois de Vendome, duc de Beaufort, 1616/1/16-1669/6/25没53才)は、イギリスが1666/9/6に終わったばかりのロンドン大火に気を取られているので行動を起こす時が来たと判断。ルイ14世はフランスとオランダの艦隊が連合してイングランドに対抗するよう命令していました。そしてフランスのジョブ・フォラント提督艦隊8隻がトゥーロンを出帆し、オランダ艦隊6隻が合流して計14隻となりました。仏蘭連合艦隊はオランダでオランダ主力艦隊と合流することを目指して英仏海峡に突入すると荒天に見舞われ、もたもたしていると、イギリス海峡のケント州ダンジネス海岸沖で初代准男爵トーマス・アリン提督指揮下の25隻からなるイギリス艦隊と遭遇。1666/9/17にイギリス側が攻撃して第2次ダンジネスの海戦が勃発しました。視界不良の中での一連の遭遇戦で、フランスとオランダの船数隻が大破した後にイギリス艦隊がフランス艦ル・ルビス号を拿捕して終了しました。

<第2次ダンジネスの海戦の海戦、艦隊戦闘序列>〜 第2次 蘭 英 戦 争 〜 1666/9/17
・蘭英艦隊:〜(Dutch & British fleet)
 (Order of Battle at the Battle of 2nd Dungeness's Fleet)
蘭仏英艦隊 主 力 総司令官 損害
・蘭仏艦隊 戦列艦16隻 商船隻 フォラント提督 捕獲1隻, 捕虜400人, 戦死傷者116人
・イギリス艦隊 戦列艦25隻 小艦艇隻など アリン提督 戦死傷者70人
・蘭:ジョブ・フォラント少将(Rea Admiral Job Forant, 1630-1692)
・英Gトーマス・アリン提督

▼蘭仏連合艦隊:〜(Dutch & French Fleet)
・ラ・ソフィー号 La Sophie 60 仏、旗艦, フォラント提督
・ル・ルビス号 Le Rubis 60 仏、捕獲
・ル・ブルボン号 Le Bourbon 66 仏、ル・アーブルへ脱出
・ル・マザラン号 Le Mazarin 48 仏、ル・アーブルへ脱出
・ル・メルクール号 Le Mercur 32
・ロム号 L'Oms 32
・プリンス・テ・パール号 Prins te Paard 32
・オーステルウェイク号 Oosterwijk 32
・ル・ドラゴン号 Le Dragon 42 仏、ディエップへ脱出
・など。

▼イギリス艦隊:〜(British Fleet)総司令官アリン提督
・イギリス艦隊 戦列艦 25隻 アリン提督指揮

参考HP:〜
ダンジネス岬の場所地図(Dungeness Cape, Engrish Chanel、)
ダンジネス岬の場所地図(広域地図)。

(8)ランドガード砦の戦い
 (Battle of Landguard Fort, 1667/7/2)英勝利
 別名:ランドガード砦への攻撃
 (Attack on Landguard Fort)
 別名:ランドガード砦への攻撃
 (Attack on Landguard Fort)
 (ストゥール川河口とオーウェル川河口を横切る砂州に有る砦)
 戦場:英国サフォーク州ランドガード砦
 (Landguard Fort, Suffolk, England)

艦隊の攻撃の図


アルマダの海戦400年記念
ガーンジー 1988 発行
ランドガード砦の戦いはハウィッチ(Harwich, Essex, England)にあるイギリス海軍の停泊地への攻撃に道を開くことを目的として、1667/7/2にオランダが英国サフォーク州の何東岸ストゥール川河口(River Stour, 76km)とオーウェル川河口(River Orwell, 20km)を横切る砂州に有るランドガード砦を攻撃した第二次英蘭戦争末期の戦いでした。そのオランダ軍の攻撃は撃退され、その結果ハリッジへの攻撃計画は放棄されました。それはブレダの和約が締結される前のヨーロッパにおける最後の戦いの一つになりました。 艦隊の攻撃を防ぐ砦(Southampton Fort)

バーミューダ 1982 発行

<ランドガード砦の戦い、戦闘序列>〜 第2次 蘭 英 戦 争 〜 1667/7/2
・蘭英戦力:〜(Dutch & British force)
 (Order of Battle at the Battle of Landguard Fort's Force)
▼蘭兵力:〜(Dutch Fleet & Force)
蘭戦力 主力 支援兵力 総司令官提督ジョセフ提督
・上陸支援艦隊 戦列艦など デ・ロイテル提督
・上陸部隊 海兵隊1,500人 水兵500人 デ・ウィット提督 戦死傷者150人
・蘭:Cデ・ロイテル提督
・蘭:コルネリス・デ・ウィット提督(:Cornelis de Witt, 1623-1672)
・蘭:O大将ファン・ゲント男爵ウィレム・ジョセフ提督
蘭の上陸支援艦隊:〜(Dutch Fleet)
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン号 De Zeven Provincien 80 旗艦, ロイテル提督
・フェレーニグデ・プロヴィンシェン号 Vereenigde Provincien 42
・ワルヘレン号 Walcheren 68
・ワッセナール号 Wassenaar 56
・オーステルウェイク号 Oosterwijk 56
・グーデン・レーウ号 Gooden Leeuw 80
・など。

▼英ランドガード砦の防衛隊:〜(British Defence Force)総司令官ダレル総督
英戦力 主力 支援兵力 司令官 戦死傷者10人
・要塞守備隊 要塞砲40門 砲兵隊100人 ダレル総督
・支援戦力 海兵隊400人 サフォーク伯
歩兵500人 レッゲ少佐 到着遅延
・ランドガード砦司令官ナサニエル・ダレル総督(Nathaniel Darrell, 在任1670-1679)
・イギリスの海兵隊(ヨーク公爵オールバニー海事連隊)銃士400人、砦の大砲40門、砲兵約100人
・第3代サフォーク伯爵(James Howard, 3rd Earl of Suffolk, KB, c1606/2/10-1688/1/7)
・ハウィッチ歩兵隊長レッゲ少佐(Major Legg, Harwich Infantry)
・など。
参考HP:〜
ランドガード砦の場所地図(Google Map)
ランドガード砦(航空写真)
オーウェル川の場所地図(Google Map)
ストゥール川の場所地図(流域地図)
ハウィッチの場所地図(Google Map)
エセックス州とサフォーク州の場所地図(Google Map)。



<カリブ海戦々の海戦>戦>
 (Caribbean, North America)
(9)ニューネーデルランドの征服
 (Conquest of New Netherland, 1664/5/25-10/4)英勝利

(10)バルバドスの海戦
 (Battle of Barbados, 1665/4/29)英勝利

(11)ネビスの海戦
 (Battle of Nevis, 1667/5/20)英勝利

(12)マルチニークの海戦
 (Battle of Martinique, 1667/6/30-7/7)英勝利

(13)カイエンの侵攻の海戦(仏ギアナ)占領
 (Capture of Cayenne, 1667/9/22)英勝利

(14)ゼーランディア砦の奪還の海戦、スリナム・パラマリボ
 (Recapture of Fort Zeelandia, 1667/10/13)英勝利。


・ブレダの和約
  (Treaty of Breda, 1667/7/31)
「ブレダの和約」はオランダのブレダで、1667/7/31にイギリス・オランダ間で締結された講和条約。この和約により、第二次英蘭戦争は終結しました。第二次英蘭戦争はオランダが優勢でしたが、フランスとの対立が深まっていたことなどから早期に戦争を終結させることが望まれていたため、イギリス側に若干譲歩した形で条約を締結することになりました。オランダ首相デ・ウィッテの提案により占領地保有主義の原則が適応され、オランダはニューアムステルダム(現ニューヨーク)を含む北米植民地をイギリスに割譲するも、占領したスリナム・ギアナなどの南米北岸(後のオランダ領ギアナ)を獲得。他にイギリスの航海法
ブレダの開城 1625
修正緩和し、ライン川を経由するオランダ船舶には適応されないことになりました。

・ブレダ(Breda)
オランダの北ブラバント州にある基礎自治体(ヘメーンテ)で、ロッテルダムの南南東30 kmにあるオランダ南部の都市ブレダは、1568〜1648年にかけての八十年戦争ではスペイン軍に2度にわたり蹂躙されましたが、1637年にオラニエ公フレデリック・ヘンドリックによって解放されました。特に1624〜1625年にかけてスペイン軍がこの町を包囲した戦いは有名であり、攻城戦を指揮したアンブロジオ・スピノラ将軍にブレダ守備隊の司令官であったユスティヌス・ファン・ナッサウ将軍(Justinus van Nassau, オラニエ公ウィレム1世の庶子)が城門の鍵を渡して降伏する場面が、ディエゴ・ベラスケスの名画 ”ブレダの開城” に描かれています。その後、1648年のヴェストファーレン条約で正式にネーデルラント連邦共和国に加わりました。清教徒革命でオリバー・クロムウェルの革命軍に敗れたイングランド王チャールズ2世が大陸に逃れ、この街で王政復古に向けて「ブレダ宣言」(1660)を行いました。また、1667年には第二次英蘭戦争を終結させたブレダの和約がこの街で取り交わされ、ネーデルラントはニュー・アムステルダム(現在のニューヨーク)を含む北米の植民地をイングランドに割譲しました。

参考HP:〜
オランダの地図(1672)
オランダの区分地図(フランスの進撃図、1672)
オランダ最大版図の地図(19世紀)
オランダの地図(現在、道路地図)
オランダの地図(現在、水面下を示す図)
オランダの区分地図(現在、州・準州、サバ島シントユースタチュウス島ボネール島など有)

こちらで
蘭英戦争(1652-1674)
第1次蘭英戦争(1652-1654)
第2次蘭英戦争(1665-1667)
 ※欧州戦々の海戦
 (1)ローエストーフト沖の海戦 (1665/6/13)
 (2)ヴォーゲンの海戦 (1665/8/2)
 (3)ノースファランド沖の海戦(4日海戦、1666/6/11-6/14)
 (4)セント・ジェームス・デーの海戦 (1666/7/25)
 (5)ホームズ・ボンファイアーの海戦 (1666/8/19-20)
 (6)第2次ダンジネスの海戦 (1666/9/17)
 (7)チャタムの海戦(メドウェイの襲撃、1667/6/9-6/14)
 (8)ランドガード砦の戦い (1667/7/2)
第3次蘭英戦争(1672-1674)
第4次蘭英戦争(1780-1784)
マゼラン (海峡)
スパイス (香辛料)
コーヒー (嗜好飲料)
ラッコ(絶滅危惧種)
クリッパートン島(絶海の孤島)
カリブ海の地図(島国シリーズ)
フランスの王と王族(ブルボン朝)
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る東海道五十三次
全米50州アメリカ
・世界で1番美しい 蝶々
・ギリシャの民族衣装
・スペインの画家ゴヤ
世界遺産
フランス
法隆寺日本
ヌビア遺跡エジプト
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿ギリシャ
モヘンジョダロパキスタン
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   平成23年 2011/1/28、令和5年 2023/6/23追記
スタンプ・メイツ
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